2024.01.25

優しくて心くすぐる、ときめきをたくさん詰め込んで/瀧上翔子

かわいらしい女の子や小鳥、色づかい。一つひとつの世界観に引き込まれるような絵を発表しつづけるのは、大分在住のイラストレーター・瀧上翔子さん。
子どもの頃から絵が好きで、小学校の卒業文集には「イラストレーターになりたい」と書き込み、高校卒業後は大分を離れ、福岡の専門学校へ。絵を学んだのち、アパレルの仕事をしつつイラスト活動を並行していたが、「絵でやっていけるのか」という周囲の反対の声に不安が募っていったという。「これで最後」と気持ちの区切りをつけるため福岡で個展を開催したのち、地元・大分に帰郷した。

大分に戻ってからは新たな職を探しにハローワークへ通った。希望の職種を伝えて探したが、担当の職員に「絵の仕事をやめない方がいい。あなたは絵を描いた方がいい」と言われたことに驚いたという。「仕事を探しにハローワークに行っているのに驚きました(笑)。今まで絵を描いていたことも話していましたが、私がまだ絵に対して迷いがあるのに気づいていたのかも。その言葉に背中を押された気がしました」。
絵を描ける環境を整えていこうと、ほかの仕事をしつつ絵の活動をメインとしたWワークという働き方を選んだ。また、母と買い物に出掛けている時に立ち寄った雑貨店で、ふと母が言った一言も転機だったという。「『マリーニモンティーニ』というユニットで活動している作家さんが好きなのですが、描かれた雑貨が並んでいるのを見た時、『翔ちゃんの絵もこうなれたらいいよね』と言ってくれたんです。日常に寄り添う雑貨に描かれた絵に、私がその作家が好きなのと同じように私の絵を好きだといってくれるように。母の何気なく言ったその言葉にハッとしました。まだまだ絵でやれることがあるんじゃないかって」。
瀧上さんの祖母も「絵をやめないで」と言ってくれた一人。「おばあちゃんが渡してくれた本に、『好きなことをやるには覚悟が必要』と書かれていました。確かに楽な道じゃないし、絵をやるには覚悟が必要。覚悟があれば、挑戦していい。何を言われてもいい、後悔しないためにやりたいことやろう。私は私の絵を広めたい。そう自分自身の素直な気持ちを許すことから再スタートしました」。一枚のキャンバスの中に色づいた世界を吹き込む。私の世界観を表現できる目や輪郭はどんなものだろう。覚悟を決めてから初めて描いた海の絵は、まわりから多くの反響があり、今の絵へとつながっていったのだという。

ライブペイントや個展、保育室のパンフレットの制作、パン屋さんの看板イラストの依頼など、仕事は少しずつ増えてきている。
「アパレルで学んだ接客やディスプレイなど、経験してきたこと全てが勉強になりました。いつも何か吸収しなきゃと。映画もこの人のまばたきがいいなとか、光と影の加減など何回もいろんな角度から見たりして、私なりのやり方に変えていって、すべてが絵を描く楽しさにつながっているんです。表現するのに制限やきまりってない。『髪にこういう色を使っていいんだ』というのも発見。子どもたちにも自由な色で描いていいんだよ、と伝えていきたいです」。
瀧上さんは手掛けた作品を一つひとつ大切そうに眺める。「泣いている絵を描くと私も泣いちゃうし、笑っている絵だと私も笑顔になる。それぐらい気持ちが入ってしまうんです。絵を見た人と同じ気持ちを共有できたり感想を言っていただけると、『見た人に全部伝わっているんだ』と、うれしくなります。『こう見てほしい』など自分でいろいろ主張はしたくなくて、見た人が感じるものを受け取って欲しい。見てくれた人の感想を聞くと『よし、次も頑張ろう』って思えるんです」。
「これからの目標は」との問いに瀧上さんはまっすぐな眼差しで答えた。「全国の雑貨店にグッズを置いてもらえたり、雑誌の挿絵、本の表紙…やりたいことはいっぱいあって全部叶えていきたいです。そう思えるのは私が少しでもくじけそうになったら背中をみんなが押してくれるから、そのおかげで今がある。絵を見てくれた人や応援してくれる人たちが胸を張って『私このイラストレーターさんが好き』と言ってもらえるように、みんなに自慢してもらえるようなイラストレーターになりたいです」。

<Profile>
瀧上翔子/イラストレーター
大分市出身。幼少期から絵に親しみ、大分に帰郷してから個展やイベント出店に参加し、水彩を使って優しさや懐かしさ、においを表現し、見た人の記憶や感情に寄り添うイラストレーターとして活動している。
HP:https://cocoa110151.wixsite.com/takishoco/interiors